大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

横浜地方裁判所 昭和23年(行)35号 判決 1949年8月22日

原告

守田英雄 外二十四名

被告

中郡大野町農地委員会

外十二市町村地区農地委員会

主文

原告らの請求を棄却する。

訴訟費用は、原告らの負担とする。

請求の趣旨

別紙各目録記載の各原告の農地につき、同目録記載の各被告らが、同目録記載の各時期になした農地等買収計画決定を取消す。訴訟費用は、被告らの負担とする。

事実

原告等訴訟代理人は請求の原因として次のように述べた。

原告らは、おのおの別紙目録記載の土地(農地、未墾地)を所有しているのであるが、同目録記載の各被告は、昭和二十二年七月以降、同目録記載の各時期に、右各土地に対し、自作農創設特別措置法(以下自創法と称する)第六条および第三条等の規定にもとずいて買収計画決定をなした。しかしながら、この決定は、左の理由により無効なものであるから、取消されるべきものである。

まず第一に、自創法は、旧憲法たる大日本帝国憲法施行当時に制定公布されたものであるから、現行憲法たる日本国憲法のもとにおいては、もはや効力を失つて無効なものである。従つて、右自創法にもとずく、本件農地等買収計画決定も無効である。

かりにしからずとしても、右買収農地等の対価は、自創法第六条第三項等によつて、当該農地につき、土地台帳法による賃貸価格があるときは、田にあつては、右賃貸価格に四〇、畑にあつては、右賃貸価格に四八を乘じてえた額の範囲内において、これを定めることになつており、これは自作収益価格によつたのであるが、この規準による農地の価格は、大体、反当り四、五百円ないし八百円ぐらいであつて、同法第十三条所定の報償金の額を加えても、千円に達することはほとんど稀であるから、到底憲法第二十九条第三項にいう「正当な補償」とはいいえない。

これを詳説すれば、そもそも、農地の所有者は、元来、正当な対価を支払つて農地を取得したものである上に、その後、農地の改良、諸設備等にも相当な費用を投じているのであるから、農地所有者の農地に対する関心もはなはだ大なるものがあり、従つてこれを買収する以上、その際、右の事情を考慮することはもちろんのこと、買収により農地所有者が経済的に転落するのに反し、買収農地を売り渡される者がいかに多くの利益をうるかの点をも勘案した、何人も首肯するにたる適正な価格をもつて買収すべきであつて、それがためには、少くとも、土地収用法によつて、土地を収用する場合と同樣、時価(自由売買価格)によるべきである。かりにしからずして、収益価格によるべきものとしても、自創法第六条第三項所定の対価は、米価一石につき百五十円当時を基礎にしたものであるが、昭和十六年一月米価がいまだ一石について四十三円三十銭(深川正米)であつた当時においてさえ、農地の価格は、臨時農地価格統制令により、田は賃貸価格の三十三倍、畑は四十倍と定められていたのであるから、これと対比しても、自創法所定の対価は、低廉にすぎるのみならず、同法制定当時、米価は、すでに一石五百五十円となつている。

また、かりに自創法所定の対価が、ともかくも、同法制定当時は適正であつたとしても、その後、本件買収計画決定までにはインフレの進行いちじるしく、貨幣価値は暴落し、米価も一石につき千八百円にもなつているから、到底、適正ではなくなつたといわなくてはならない。よつて、その理由を左に述べる。

まず、自創法所定の対価が、いかにして決定されたかを、田について見るに、自作農の反当り粗収入は、米価一石百五十円、反当り平均実収高二石として金二百四十八円であり、これに対し、反当り生産費は金二百十二円三十七銭であるから、自作農の反当り純収益は、右の差額たる金三十六円三十八銭ということになる。そして、利潤の生産費に対する比率を四パーセントとすれば、利潤の額は、金八円五十銭となり、地代部分は、右純収益から右利潤を差し引いた金二十七円八十八銭となる。そして、これを最近発行の国債利廻り三分六厘八毛で割つて、反当り自作収益価格たる金七百五十七円六十銭を算出し、さらに、これを中庸田反当り標準賃貸価格金十九円一銭で割れば三九・八五となるので、これを切り上げて四十倍としたのである。

そこで、これにならつて、米価が一石につき千八百円となつた昭和二十二年度の反当り自作収益価格を、所得税徴収の基準となる昭和二十二年度の田畑所得標準額を、借りてきて算出する。まず、

(田畑所得標準額)=(総収入)-〔(種苗、肥料購入費)+(家畜飼養料)+(土地家屋修繕料借入料)+(公租公課)+(使用人給料)+(負債利子等)〕であるが、

(純収益)=(田畑所得標準額)-〔(耕作者労賃)+(所得税額)+(農具等材料費)】

であつて、昭和二十二年度の神奈川県における田の所得標準額は、反当り自作は、金二九〇〇円ないし三一〇〇円であるから、その中間をとつて反当り所得額を金三〇〇〇円とする。

耕作者の労賃は、田一反の耕作に必要な労力を三十人手間として、これを当時の官吏の賃金ベースたる千八百円によつて計算すれば、反当り金一八〇〇円となる。

所得税は、前記のごとく、所得額を反当り三千円とすれば、一町歩の耕作者を基準として、扶養家族二人の場合六千二十円、三人の場合五千七百八十円の割合により、反当り金六〇〇円となる。

農具等材料費については、昭和二十一年九月一日発表の政府買上米価六百円(その後五百五十円に変更)の反当り基準生産費は、千四百四円四十八銭であるから、米価と同率で生産費も上るとみて、米価千七百円のときの生産費は三千九百七十九円となる。そして、米価六百円当時の農具等材料費の生産費に対する割合は、四・五パーセントであるから、米価千七百円当時の農具等材料費は、右三九七九円の四・五パーセント、すなはち、金一七九円〇七銭となる。よつて、

(米価千八百円当時の反当り純収益)=三〇〇〇円-(一八〇〇円+六〇〇円+一七九円〇七銭)=四二〇円九三銭となるしからば、前記のごとく、米価百五十円当時の反当り純収益は、金三十六円三十八銭であり、反当り地代部分は、金二十七円八十八銭であるから、この両者の関係が米価千八百円当時も同比率として、米価千八百円のときの地代部分は、金三百二十九円二十六銭となる。これを前記国債利廻りで割れば、米価が一石につき千八百円であつた本件買収計画決定当時の田における反当り自作収益価格は、金八千二百三十一円五十銭となる。

従つて、これによつて見ても、自創法所定の対価は、原告らの農地が本件買収計画決定をうけた当時の米価による自作収益価格より、はるかに低廉であるのみならず、本件買収計画決定中に含まれている未墾地は、それが自由売買を許されている関係上、その価格が他の諸物価に対応して非常に高価であることにかんがみれば、本件買収計画決定の対価は、到底、憲法第二十九条第三項にいう「正当な補償」とはいいえないのであつて、右決定は無効なものであるから、取消さるべきものである。よつて、本訴訟におよんだ次第である。

被告ら訴訟代理人は、主文と同旨の判決を求め、答弁として次のように述べた。

原告の主張事実中、原告らが各自原告主張のごとき農地を所有していること、右各農地が原告主張の日時その主張する各被告によつて買収計画決定をうけたこと、自創法第六条所定の対価の算出方法が原告主張の通りであること、右規準によつて算出した農地の価格が原告主張の金額となること、および米価に関する部分は認めるが、その他の事実はすべて否認する。

原告は、自創法が旧憲法の失効と同時にその効力を失つたと主張するが、およそ法令は、その制定当時、正当な権限のある者により、正当な手続をふんで制定された以上、その後、制定者が右の権限を失つたとしても、それがために、当然に効力を失うものではない。従つて旧憲法施行当時制定公布された法令といえども、新憲法のもとにおいて、なお、有効である。新憲法には従来の法令の効力に関する旧憲法第七十六条のような規定はないが、その理においては、異なるところがないから、自創法も、依然、新憲法のもとにおいても、効力を存している。

次に、原告は、自創法所定の対価が、憲法第二十九条第三項の「正当な補償」といいえないと主張し、まず、本件農地等買収対価は、時価(自由売買価格)によるべしとするけれども、そもそも、本件農地の買収は、自作農創設のためであつて、買収される土地は、ながく農地として維持されるのであり、これを他の用途に供したり、または、転売して利益をうるためのものではないから、このような場合の買収対価は、収益価格によるべきであるとする立法例も多いのみならず、新憲法の理想たる経済民主化を意図する農地政策の上からは、当然、収益価格によるべきものである。殊に、農地の価格は、従来、一定の額によつて統制されており、いわば、農地につき一種の公定価格が定められているわけであるから、自由売買価格なるものはありえない。かりに、農地について、自由売買価格があるとしたところで、農地は原則として、自由処分を禁じられ、且つ、その使用目的を変更することさえ許されていないのみならず、小作料は金納化され、その額も統制されていて、いまや農地は、その所有者にとり単に小作料を収納する収益財産となつているにすぎないから、その価格は、しかく高価ではありえないのであつて、これを一般物価と同列に論ずること自体が大なるあやまりである。また、従来、農地の所有者が、その農地の取得、改良等について、多大のぎせいを払つたとしても、それは、農奴的小作農民の存在の基礎の上に立つ、封建的搾取を夢みたがためであつて、いまや、かかる封建的制度を根絶することこそ、日本民主化の指標なのである。次に、原告は、米価ないしは諸物価の値上りにつれ、農地の対価も引き上げらるべきだと主張するが、米価の値上りはもつぱら、米の生産費の高騰に起因するのであつて、生産に何ら関係のない農地所有者に影響のあるべきものではないのみならず、自創法による農地買収のごとく、広範囲にあたり急速に処分をなす必要ある場合に、経済事情の変動にともない、その都度、買収対価を引き上げるがごときは、買収手続の遷延をきたすことは必然であり、経済民主化にいちじるしい障害を与えることとなる。

従つて、本件農地等買収計画決定による買収対価は、憲法第二十九条第三項にいう「正当な補償」に違反しないというべきであるが、本件におけるごとき農地の買収を、日本現下の実情に照し、一層高い立場から判断するならば、ことは単に「正当な補償」の文理解釈につきるものではなく、わが国がポツダム宣言を受諾し、降伏文書に調印して以来、連合国の管理のもとに、民主化の施策を遂行しつつあることにも充分の顧慮を払うことも必要であつて、本件請求の失当なること論をまたない。

理由

別紙目録記載の各土地がそれぞれ原告らの所有に属するものであつて、同目録記載の各被告らが昭和二十二年七月以降同目録記載の各時期に、右各土地に対し、自作農創設特別措置法(以下自創法と称する)第六条および第三条等の規定にもとずいて、本件買収計画決定をなしたことは当事者間に争がない。

そこで、まず、自創法が日本国憲法のもとにおいて、はたして効力を失つたか否かを判断するに、同法が旧憲法である大日本帝国憲法施行当時に制定公布されたものであり、同憲法が新憲法たる日本国憲法の施行とともにその効力を失つたことは明らかであるが、それだからといつて、自創法までが、新憲法施行により、ただちにその効力を失うものではない。何となれば、被告も主張するごとく、およそ法令はそれが正当な権限ある者により、正当な手続をふんで制定されたものである以上、その後において、たとえ制定者がその権限を失つたとしても、これによつて当然にその効力を失うものではないのであつて、日本国憲法中に、従来からの法令の効力について、大日本帝国憲法第七十六条のごとき規定はないけれども、その理を異にすることなく、従来の法令といえども、その内容が日本国憲法の条規に反しないかぎり、なお、有効なのである。従つて、自創法も、その内容が日本国憲法の条規に反しないかぎり、依然効力を有しているというべきである。

次に、本件買収計画決定において、自創法第六条第三項等により、買収対価とせられたものが日本国憲法(以下憲法と称する)第二十九条第三項にいわゆる「正当な補償」に該当するか否かを判断する。

そもそも、憲法の理想とするところは何かといえば、それは、まず何よりもわが国の民主化にあることは明らかであるが、このことは、単に、憲法が封建的身分的支配服従関係を除去せんと所期するのみではなく、近代資本主義の所産たる少数有産者の多数無産者に対する財産的支配関係をも抹殺せんとするものであることは、憲法の前文ならびに第二十五条(生存権)、第二十八条(勤労者の団結権)等の規定により明らかである。従つて、少数有産者の財産的支配を廃除して、無産者の生存を保護するために、時として、不当な圧力となつている有産者のもとにおける財産の偏在を是正することも、無論、憲法の許容するところといわなければならない。かかる場合の処置として、有産者の財産を収用するに当り、従来の損害賠償の観念をもつて、その収用対価たる補償額を決定するならば、それは、結局、右補償をして再び、有産者の財産に還元せしめる反面、せつかく保護せんとする無産者の負担を増大せしめる結果となることは必至であつて、これは憲法の理想にもとることとなる。この故に、憲法自体からするも、右のごとき無産者の生存権を保障せんがための、富の再分配ないしは収用を目的とするがごとき制度的改革の場合にあつては、財産収用の対価は、少なくとも、その改革を実効あらしめんがための社会的に公正妥当な価格によることをもつて正当なりとしているといわなくてはならない。しかして、この対価は、従来の損害賠償の観念からいうならばあるいは、収用によつて生ずる有産者の損害の一部のみを補償するにすぎないことともなりうるのである。

従つて、憲法第二十九条第三項は、「私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用いることができる。」と規定しているけれども、この「正当な補償」ということも、私有財産が収用される場合の収用の目的等を憲法の理想とするところに照して、何が社会的に公正妥当なりや否やを判断して決すべきものなのである。

かくのごとく、「正当な補償」という観念を理解した上で、自創法の規定による本件農地等買収の目的を考察するに、それは数世紀にわたる封建的圧迫により、農民を奴隷化してきた経済的束縛を打破して農村を民主化し、耕作農民の生存権を保証せんとするとともに、農業生産力の発展を所期するものであることは、自創法第一条の規定をまつまでもなく公知の事実であり、富(土地)の再分配を行わんとする制度的改革であることは明らかであるから、この点を、前記憲法の理想とするところに照してみるならば、本件買収の対価も、従来の損害賠償の観念によるべきではなく、公正妥当な社会的正義の理念によつて決すべきものなのである。(この場合、地主の土地所有形態が資本主義的なものであるか否かは問うところでない。)

しかして、自創法第一条第三項所定の本件農地の対価の規準となる倍率は、いかにして決定せられたかというにそれは、原告も主張するごとく、田については、中庸田による自作農の反当り純収益から、四分の利潤を控除した地代相当部分金二十七円八十八銭を、国債利廻り三分六厘八毛で還元して、自作収益価格金七百五十七円六十銭を算出し、これを中庸田反当り標準賃貸価格金十九円一銭で除した結果たる三九・八五を切り上げて、四〇倍としたものであり、畑については昭和十八年三月勧業銀行調査の畑と田の売買価格の比率一〇〇分の五九を、田の自作収益価格に乗じてえた金四百四十六円九十八銭をその自作収益価格とみなし、これを中庸畑反当り標準賃貸価格金九円三十三銭で除した結果たる四七・九を切り上げて四八倍としたものであるから、これによつて算出される本件農地等の対価は、自作収益価格によつたことになるわけである。

しからば、この対価は、農地調整法第六条の二および昭和二十一年一月十六日農林省告示第十四号等によつて定められた農地の売買が許された場合の農地の統制価格と同一基準であり、いわば本件決定当時の農地の時価ともいうべき価格である(農地について自由売買価格は存しない)のみならず、買収に際しては、自創法第十三条第四項所定の報償金(これが地主採算価格と前記自作収益価格の差額であることは顕著な事実である。)が加えられることにかんがみるならば、農地の対価は、まさに公正妥当にして余りありといわなくてはならない。

また、本件買収計画決定中に含まれている未懇地の対価については自創法第三十一条第三項等によつて、「当該土地の近傍類似の農地の時価」すなわち、前記農林省告示により、自創法第六条第三項所定の基準によつた右近傍類似の農地の対価を参酌して定めることになつているものの、未懇地については、農地におけるごとき売買や価格の統制がなく、いわゆる自由価格たる時価が存するわけであるが、これとても、前述せる本件買収の目的等にかんがみれば、その対価の決定は通常の損害賠償の観念たる右時価をもつて律すべきではないのみならず、未懇地はそれを農地として使用収益するにいたるまでに、これに若干の労力と費用とを投ずることを必要とする関係上、その価格が農地より低廉なことを通常とするから、これを農地と同一基準による対価で買収するも不当なりとはいいえない。

また、原告は、自創法制定当時から本件買収計画決定当時までに、インフレのいちじるしい進行により貨幣価値が暴落し、米価もまた引き上げられて一石につき千八百円にもなつたのであるから、本件対価が自創法制定当時はともかくも適正であ たとして 、本件決定当時は正当なものではなくなつたと主張するけれども、米価の値上りはインフレによる生産費の高騰に起因するのであつて、生産に関係のない農地所有者に影響のあるべきものではないのみならず、前記のごとく本件買収が憲法の理想とするわが国の民主化のための施策である以上経済事情の変動にともないその都度、対価を引き上げるがごときは、いちじるしく買収の手続の完了を遷延し、しかも、耕作農民の負担を加重することとなるから、経済事情の変動により、有産者たる農地所有者の損失が増大したとしても、これを無産者たる耕作農民ならびに一般国民に負担せしめるべきものではなく、農地所有者において、これを受忍することをもつて公正妥当とすべきは当然である。

この故に、本件農地等買収計画決定における買収対価は、いずれも「正当な補償」というべきであつて、何ら憲法第二十九条第三項の条規に違反するところがないから、右決定は無効ではない。しからば、右決定の無効を理由として、その取消を求める原告らの本件請求は失当であるから排斥せらるべきものである。よつて訴訟費用は敗訴した原告らに負担せしめて主文のように判決する。

(牧野 堀田 草野)

(目録省略)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例